2011/07/08

夏の地球 #1















夏の地球は眩しかった・・・


地球と言ってもそこは地球Bではなく、ましてや地球Cでもなく、誰もがそれぞれの
環境や状況に追われながら、忘れたことさえ忘れた何かにいつの間にか蓋を閉めたまま、
なんとなく過ごす時間を味方に、その場を乗りきることができる娑婆としての
地球Aのことだ。スペースシャトルで宇宙に飛び立つよりも厄介な地球Cへの移動を
果たせなかった夏の夜、私は光と闇を同じ場所で求めようとする矛盾に満ちた旅に出た。
一夜限りの儚い旅だ。しかし儚さはすべてを覆すような閃光を放つ「驚き」を
含んでいることもある。含ませるのはいつも舞い降りた何かだ。

私はいつもの様に壊れかけたコンデジを片手に街を彷徨い続けた。
夜撮りは私にとっ儚さを内包した旅そのものだ。光と影に映える生々しい物語が
昼よりも露骨に無秩序に露呈されている。なぜか妙に気になる酒場があった。
いつも気になるわけではない。突然、勘に触れてきたのだ。セワンシャリフにある
ラール・ハベリを想わせるような真っ赤な色を貼りつけた酒場を撮影していた時の
ことだ。胸騒ぎのような息苦しさ。そんなものを感じた時には必ず何かがある、
妙な確信が後押しして私は酒場の扉をくぐった。月曜日の深夜、客は女が一人。
つスツールをやり過ごし、私はカウンターの中央に腰を下ろす。
それまで散々ビールを水代わりに飲んでいた私はウィスキーを注文した。
バーテンが話しかけてくる。
「音楽関係の方ですか」
「なんで、そう想うの?」
「何となく風貌がそんな感じだから」

地球Aでのいつもの何気ない会話の始まりだ。でもちゃんとバーテンは解ってる。
音楽関係であろうがなかろうが知ったことではないが、風貌に滲み出るインチキ臭さを
ちゃんと嗅いでいるのだ。私は私でちゃんとインチキ臭さを匂わせている。
地球Aではそれでいい。違う何かが滲み出てしまうなら、それをインチキとして
演出するのが一番無難だ。初めてインドに通い始めた頃からのことで、私はもう20数年の
インチキ演出のベテランということになる。本当は隠せないものがある。しかしながら
場所によっては隠せるものも多々ある。相手に理解してもらえない経験などは決して
話す必要がないことを知っている。理解できない相手にとって特殊な経験などインチキと
同じようなものなのだ。たとえ聞く耳をもった者でも想像力が追いつかなければ結局、
判断できず持て余した挙句それはインチキに収まる。
バーテンはそんな人達の典型だったし、私もインチキの典型だった。

客の女が気になった。女にはインチキ臭さはない。それでも妙に気になった。
女も私を気にかけているようだったが次の瞬間、私の勘や息苦しさは一気に濃くなった。
女は言ったのだ。「アナタ、銀次と金次知ってる?」
そのインチキ臭い一言が、記憶と経験を探る旅へと私を誘った。

記憶の中で夏の地球は光と影に塗れた混沌そのものだった。
混沌としているからこそ、夏の地球を眩しく、感じずにはいられなかった。












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